東京地方裁判所 昭和41年(ワ)11020号 判決 1967年11月27日
原告
ブルゲル・サエコこと
梅津砂江子
右訴訟代理人
根本はる子
被告
東京海上火災保険株式会社
右代表者
安田雄蔵
右訴訟代理人
田中慎介
同
久野盈雄
同
今井壮太
主文
一、被告は原告に対し、金二二一、〇〇〇円およびこれに対する昭和四一年一一月二六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用はこれを三分し、その二を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
四、この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。
事実
第一 当事者の求める裁判
原告「被告は原告に対し金三〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四一年一一月二六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言。被告「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。
第二 請求原因
一、(保険契約)
訴外ゲオルグ・ハンス・ブルゲル(以下ハンスという。)は昭和四一年二月一六日被告との間に同人が所有し自己のために運行の用に供する自家用乗用車(品川五み四七二〇、以下本件自動車という。)につき、保険期間昭和四一年二月一七日から同四三年二月一七日まで、保険料金一五、五一〇円とする自動車損害賠償責任(以下自賠責という。)保険の契約を締結した。
二、(事故の発生)
ハンスは、昭和四一年五月三日午後三時頃、本件自動車の助手席に原告を同乗させた上、これを運転して埼玉県入間郡名栗村字上名栗四一二番地先県道を飯能市方面から名郷方面に向かつて進行中、その道路を対向して進行してきたバスとすれ違うに際し、衝突を避けようとして車を左に寄せすぎたため、左側の崖から車ごと名栗川に転落し、よつて原告に対し、治療約六か月を要する下腿骨骨折、複式挫傷の傷害を負わせた。
三、(損害)
原告はその負傷の治療のため昭和四一年五月三日から同月一五日まで聖母病院に入院し、退院後も入院中と同様の付添看護を要し、全治まで六か月間は激痛と歩行不能によつて多大の精神的苦痛を味わつた。原告はそれらの結果次のような損害を蒙つた。
(一) 治療費等 合計金四五三、三八〇円
1 応急手当費 金 二、〇〇〇円
2 現場から病院までの護送費 金 六、〇〇〇円
3 入院料 金四一、四九四円
4 投薬料 金 六八六円
5 手術処置料(レントゲン等) (未払) 金一六二、〇〇〇円
6 通院費(退院後週一回付添通院一日往復金一、四〇〇円) 金一四、〇〇〇円
7 付添看護料(退院後派出婦および原告の母の付添看護を要した。一日金七八〇円、七五日間) 金五八、五〇〇円
8 諸雑費(医師の指示によりアスピリン、ビタミン常用) 金 三、二〇〇円
9 コルセット式あみあげぐつ(医師の指示により常用) 金一五、〇〇〇円
10 松葉づえ(医師の指示により常用) 金 三、五〇〇円
11 休業補償費(主婦兼洋裁アルバイト) 金一四七、〇〇〇円
(二) 精神的苦痛に対する慰藉料 金二一〇、〇〇〇円
四、(結論)
よつてハンスは原告に対し本件事故に基づいて右金計金六六三、三八〇円の損害賠償の責任を負うに至つたので、原告は自動車損害賠償保障法(以下自賠法という。)第一六条第一項に基づき保険金額の限度において金三〇〇、〇〇〇円および本訴状送達の翌日である昭和四一年一一月二六日から支払に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三 請求原因に対する被告の答弁
一、請求原因第一項記載の事実は認める。
二、同第二項中原告の受傷の部位、程度は不知、その余は認める。
三、同第三項は不知
四、同第四項は争う。
第四 被告の抗弁
一、原告はハンスの妻として同人と共同生活を営んでいた。すなわち原告夫婦は特別の財産はなく原告の母所有の家に原告の母とともに居住し、ハンスの時々の収入によつて一家が生活し、原告の本件事故による負傷治療費もハンスが支出するといつたような生活形態であり、本件自動車の購入代金のようなまとまつた多額の費用は原告の母より支出されていた。そのような関係であるから原告ら夫婦はそのすべての財産を共同して所有使用していたと見るべきであつて、本件自動車については原告もハンスと共同して所有権を有していた。仮りにそうでないとしても、原告はハンスとの生活共同体の構成員としてこれを使用する正当な権限を有していたのであり、現に原告は自動車の運転免許を取得すべく、自動車教習所に入所し、本件事故当時は仮免許をうる直前であつた。従つて原告は本件自動車に対し運行支配と運行利益を有するものとして、その「保有者」に該当し、またはすくなくとも保有者側に立つ者であつた。いずれにせよ原告は自賠法第三条の「他人」には該当しないから、ハンスは原告に対しその事故によつて受けた損害を賠償する責任を有しない。
二、本件事故は夫たるハンスが自動車を運転し妻たる原告を同乗させドライブ中ハンスの運転上の過失によつて発生したものであるところ、このような通常の夫婦の共同体としての生活関係に起因して発生した過失行為には反社会性がなく違法性は認められない。従つてハンスは原告に対し、その事故に基づく損害につき賠償義務を負うものではない。
三、仮りに以上の抗弁が理由がないとしても、原告の本訴請求は権利の濫用である。すなわち自賠法の趣旨は、加害者が貧困のため被害者が救済されないという社会的問題を解決することにあり、その対象は通常の社会的生活関係である。夫婦のような生活共同体内の問題においては、利害共通の基盤に立ち、互に協力扶助すべき関係にあるのであるから、妻が夫の過失行為によつて損害を蒙つたとしてもそれは内部関係において処理解決すべく、自賠法による保護を求めうべきものではないのである。
第五 被告の抗弁に対する原告の認否
被告主張の事実中、原告がハンスの妻であつて、同人と共同生活を営んでいることは認めるが、その余はすべて否認する。
第六 証拠<略>
理由
一(保険契約および事故の発生)
ハンスがその所有にかかり自己のために運行の用に供する本件自動車につきハンスと被告との間に原告主張のとおりの自賠責保険の契約が締結されたことおよびハンスが本件自動車を運転中に原告主張のような事故が発生し、原告がこれによつて負傷したことはいずれも当事者間に争いがない。
二(抗弁に対する判断)
(一) 原告がハンスの妻であつて、生活を共にしているものであることは当事者間に争いがなく、証人ハンスの証言および原告本人尋問の結果によれば、ハンスと原告とは昭和三九年七月に結婚し、事故当時は原告の母の所有家屋に居住し、夫婦および原告の母の三人で生活をし、家計はハンスの著述業や語学教授等により得た収入によつてまかなわれていたこと(原告もアルバイトをしていたがその収入は微微たるものであつた。)、本件自動車はハンスが昭和四一年二月末に自己の通勤その他仕事に使用するためその名をもつて金八〇〇、〇〇〇円で購入しそのガソリン代、修理費等もすべてハンスが支払い運転もハンスが専らこれにあたり、原告個人の用事のために使用したことはなく、原告がドライブ等のために同車に同乗することもまれであつたこと、原告は同年三月頃から自動車の運転免許取得のため教習所に通い運転練習を始めたが、事故当時はまだ免許取得に至らず仮免許の直前位であつたこと、事故当日はハンスが本件自動車を運転し原告が左側助手席に同乗し埼玉県内の正丸峠に行く途中であつたが原告はハンスの運転を補助するための行為(例えば左側方の安全の確認とか後退の場合下車して自動車を誘導するとか等)を命ぜられたわけでもなく、また現にそのような行為は何もしていなかつたことが認められる。以上の認定事実からすれば本件自動車はハンスの特有財産と考えるのが相当であつて、原告がこれに対して共同所有権を有していたと見ることはできないのみならずさらにこれに対して何らかの使用権を有していたともいうことを得ず、その他原告が本件自動車について運行支配を有していたことを認めさせるような事実は認められない。従つて原告は本件自動車を自己のために運行の用に供する者には該当せず、また事故当時その運転者または運転補助者であつたとすることができないことは前認定の事実により明らかであるから、結局原告は当時自賠法第三条の「他人」に該当する者であつたと考えるのが相当である。
(二) 夫婦間においても、その一方が何らかの故意または過失により他方の身体を傷害した場合その行為はもとより違法であつて、よつて生じた損害を賠償しなければならないが、その故意過失の態様および負傷の程度によつては、その行為の違法性が阻却される場合の存しうることはこれを認めるべきであろう。しかし当事者間に争いのない本件事故はハンスが自動車を運転して県道を飯能市方面から名郷方面に向う途中(<証拠略>によれば、道路幅員は四・八米である。)対向して進行してきたバスとすれ違うに際し衝突を避けようとして車を左に寄せすぎたため左側の崖から車ごと崖下の名栗川に転落し、よつて同乗中の原告が負傷したというものであること、<証拠略>によつて認められる原告が本件事故によつて受けた負傷は下腿骨骨折、複式挫傷であつて、全治まで約六か月を要した事実を総合し、ハンスの過失が自動車運転上の不注意であつてきわめて危険性の大きいものであることおよび原告の負傷の程度が重大であることから考えるときは、ハンスの原告に対する行為がその違法性を阻却される場合にあたるとはとうてい認め難い。
(三) 以上によれば原告はハンスに対し自賠法第三条に基づき、その受けた損害の賠償を求めることを得べく、従つてまた被告に対し同法第一六条に基づき保険金額の限度において損害賠償額の支払を請求することができるものと認むべきところ、この請求が権利の濫用にあたるか否かにつき判断するのに、自賠法の立法の趣旨は、同法第一条、第三条、第五条第一一条等に規定されているとおり、自動車を自己のために運行の用に供する者に対し自賠責保険の契約の締結を強制してその自動車の運行によつて他人の生命身体を害し、運行供用者が被害者に対して損害賠償の責任を負うべき場合に、運行供用者の損害を保険者が填補する道を講じることによつて運行供用者の資力を確保しひいて被害者に対する損害賠償を保障し、もつてその保護を図ろうとするものであり、さらに進んでは同法第一六条によつて右のように運行供用者の被害者に対する損害賠償義務が発生したときは、被害者から直接保険者に対して保険金額の限度において損害賠償額の支払を請求することを認めて、被害者に迅速簡易確実に満足を得させることとしているのである。
従つて同法の適用を見るのは加害者と被害者とが全く他人であるような、被告のいわゆる社会的生活関係についてであることが通例であるけれども、だからといつて夫婦間のような生活共同体の構成員相互間の事故について同法の適用がないとする除外規定は存しないし、また条理上これを適用するが不都合であるとする根拠も存しない。夫婦間に協力扶助義務が存することは、これと平行競合して夫婦間に損害賠償の権利義務関係を認めることと何ら矛盾するものではない。もちろん一般に夫の行為によつて妻が負傷したという場合にその夫婦が共同生活を営み円満平穏に暮しているのであれば、妻が夫に対してその損害につき賠償を請求するということは実際上考えられないであろう。しかしその妻の負傷が夫が運行供用者である自動車の運行によつて惹起され、しかも自賠責保険が締結されているときは、これと異り妻が夫に対して損害賠償請求の主張をすることは保険金額受領の前提として実益があり、この場合加害者たる夫の資力を保険によつて保障することによつて被害者たる妻の保護を図ることは何ら不当と目すべきではなく却つて自賠法の前記立法趣旨に合するものというべきである。そうとすれば本件のように被害者たる原告が夫に対する自賠法第三条に基づく損害賠償請求権あることを前提として保険者たる被告に対しいわゆる被害者請求をすること自体何ら権利濫用をなすものではなく、その他本件にあらわれた事実関係において、原告が被告に対しその蒙つた損害賠償額の支払を請求するにつき権利濫用と認めるに足る事実は存しない。
三以上被告の抗弁はいずれも理由がないので次いで原告の蒙つた損害について判断する。
(一) 治療費等
<証拠略>によれば、原告は既に認定したような本件事故による傷害の治療のため事故当日である昭和四一年五月三日現場付近の診療所および虎の門病院にて応急手当を受けた後聖母病院に入院し、同月一五日退院の後も二、四か月間は歩行不能のため自宅療養を続け、その間なお付添看護を要し、昭和四二年二月頃までステッキの使用を余儀なくされていたこと、なお昭和四一年一〇月頃から脚部の回復運動を兼ねて運転免許を取るための自動車練習を再開しうる程度となり、現に傷は全快したが以前より疲労し易くなつたこと、以上の結果原告主張の損害項目中、すくなくとも1ないし4、7の一部(付添婦の分)、8ないし10の費用を要し、またインターナショナル診療所に対し5の手術処置料等のうち金一六一、〇〇〇円の債務を負担したこと、そのうち1ないし4、8ないし10については既に支払が完了しており(7の一部についても支払ずみであることは原告が自認する。)、1、2の合計金八、〇〇〇円については、事故当日ハンスには持ち合わせの金銭がなかつたため原告が支払つたのであるが、もともと原告には見るべき収入はなくハンスから一か月に金五〇、〇〇〇円平均を生活費として受け取つて家政をとつていたものであつて右1、2はもちろんその余の治療費等の支払分も右の預り金から支払われたと推認される。6、7の残部、11については、これを認めるに足る的確な証拠はない。そうすると右支払分は結局ハンスがこれを支払つたことに帰し、原告の損害の残存するものと見るべきは未払分金一六一、〇〇〇円のみである。
(二) 慰藉料
原告は本件事故に基づく右に認定のような負傷およびその治療のため多大の精神的苦痛を蒙つたことが推認されるところ、本件にあらわれた一切の事情、特にその加害者たるハンスは原告の夫であつて、両名は事故当時およびその後も通常の夫婦生活をおくつているものであることを考え合わせると原告の蒙つた精神的、肉体的苦痛を慰藉する金額としては金六〇、〇〇〇円が相当である。
四(結論)
よつて本訴請求は前項(一)の治療費金一六一、〇〇〇円と(二)の慰藉料金六〇、〇〇〇円の合計金二二一、〇〇〇円および本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四一年一一月二六日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。(吉岡進 薦田茂正 原田和徳)